第十二話








「人を好きになるのなんてさ、タイミングも理由も、全く理不尽なもんッスよ」

 
昨晩のことだった。

聞き耳がいつのまにやら勝手に部屋にいるのはいつものことだったが、その日の彼は様子が違った。枕を抱えてベッドに突っ伏したきり、憂鬱なため息をつくばかりだった。

ロックウェルが何かする度ちょこまかと付きまとうのが彼だったので、ロックウェルは少々拍子抜けしたが、おとなしくしている分には害はない。彼のことは大して気にせず、ロックウェルも普段通り過ごしていた。
お気に入りのバンドが出るテレビ番組を見て、雑誌を読んで、風呂に入った。それから更にしばらくして、愚痴のように吐き出された言葉を、何となしに聞いていた。
 

「俺はただ、あいつがあんまり辛そうで、寂しそうなもんだから、なんとかしてやろうって思った。別に恩を着せようなんて全く思わなかったし、あいつが俺に感謝しなくたって全然良かった。ただあいつが笑ってると何だか俺も嬉しかった」

 
何の話かわからなかった。自分に話しかけているのか、独り言なのかも分からなかった。
だがこんな風に虚ろに言葉をつむぐ彼は初めてだった。はっきり言って、異常だ。さすがのロックウェルでもいつものように文句をいう気になれず、黙って彼の告白を聞いていた。
 

「俺はあいつが俺のとなりで笑ってると、全部が報われた気がした。いつも笑ってて欲しかったし、やな思いしてるなら俺が取り払ってやりたかった。そう思ってたから、俺は俺のしたいようにしてた。でさ、で……結局、あいつは幸せになれて」
 

聞き耳はそこで言葉を切った。枕に顔を突っ伏すくぐもった音が聞こえて、ロックウェルは顔を上げた。

どうも様子がおかしい。聞き耳に限って、絶対に縁がなさそうな話に聞こえる。

そう、恋の悩みって奴だ。

……誰であれ、恋するものは感傷的になり弱くなる。聞き耳も例外ではないということか。ちょっと気持ち悪い……などと失礼なことを考えつつ、ロックウェルは当たり障りのない言葉をかけることにした。
 

「よくわかんないけどさ、失恋なんて誰でも経験するもんだろ。忘れるしかねぇよ」

「違うんスよ!俺の場合、最初から失恋だったんだ」


ガバッと顔を上げて、聞き耳が声を上げた。何か続きを言いたげに口を開けていたが、小さくため息をこぼすと彼はうつむいてしまった。


「あのな、結論だけ言われても俺は全くわかんねぇよ。何を言ってほしいんだよ」


全く彼らしくない。聞き耳はいつも誰が止めようと自分のしたいことを迷わず実行し、後悔することはなさそうに見えた。例え後悔したって、こんな風に弱らずに、良く言えば、過去を振り返らず前だけを見ていくのが彼の性質だと思っていた。
今の聞き耳は、誰かに慰めてほしがっている。


「……カシウス」

「は?カシウスが何?」

「だから、カシウス!!」

「……お前の、好きな奴が?」


ロックウェルは恐る恐る聞いた。聞き耳は唇を軽く噛んで目を逸らした。無言の反応は肯定を示しているのだろう。


「ま……まじ?」

「冗談でこんなこと言わないッスよー!あ……いや、言ったッス。うん、言った言った」

「いや、意味わかんねぇ(汗)」

「今のは冗談じゃないッスけど……こないだカシウスに、好きな奴いるのって聞かれて〜……で、冗談でカシウスって言ったことはあるッス」

「何、つまり、そのときは本気じゃなかったってことか?」

「う〜ん……そこがね、あれなんスよ。俺、その時は本当に只の冗談のつもりだったんスよ。でも、俺、その後冗談だって言ったら、カシウスにすっげー呆れたような顔されて……で、なんか変な気持ちになって……。あ、って言っても、違うッスよ!変な気持ちっても、やらしい気持ちじゃないッスよ!全くロックウェルさんは何でもかんでもそういう方向に……(ブツブツ)」

「んなこと言ってねーだろ!!(汗)……で、とりあえず、その時にカシウスのことが好きだって気付いたわけだ」

「まぁ、端的に言うと……。なんだか、否定したいような気持ちになって。違う、今のは冗談じゃないって。もちろん言わなかったッスけど……」

「もちろんって……。何でだよ。……あぁ、あれか」


ロックウェルは以前ブルータスがカエサルと仲が良かったことで落ち込んでいたカシウスを、聞き耳が何とかしようと奮闘していたことを思い出した。ちなみにロックウェル自身も聞き耳が立てた作戦に巻き込まれたわけだが。先ほど聞き耳が言っていた『最初から失恋』というのはこのことだろう。

聞き耳の示唆する人物がカシウスと聞かされる前は、全く真意がつかめなくて聞き耳の独白も頭を素通りするのみであったが、そのときの言葉を思い出してロックウェルは思いついたように眉を上げた。


「……待てよ。お前さっき、『あいつは幸せになれて』とか言ってたよな?それって……」

「あぁ、そう。カシウスとブルータス、今付き合ってるんスよ」


聞き耳はこともなげに言った。


「はぁぁああーーー!?!?」

「ロックウェルさん、うるさい!!(汗)」

「いや……だって、え?マジで!?」

「そんな驚くことッスかねぇ……」
 

聞き耳は首をかしげるが、ロックウェルには衝撃だった。仮にも男同士だ。それもカシウスやブルータスはフレデリックの兄のフィリップのように本格的なアレではないはずだ。とすれば、彼らは本当にお互いしかいなかった。
 

「だからさぁ、言ったじゃないッスか。人を好きになるのって、すっごく理不尽なこともあるって」

「それは……まぁ、そうだけど。いや、ちょっと驚いただけだよ」

(……絶対ちょっとどころじゃなかったッス/汗)
 

不審な視線を向ける聞き耳にも気が付かず、ロックウェルは聞き耳の言ったことを考えていた。
聞き耳が言うには、好きになるってことは突然で、思いがけないものだと。そしてそれは既定の状況など全く考慮されずに、言わば暴力的に発生するのだ。
そして聞き耳の場合は、カシウスの恋の手助けをしているうちにその彼を好きになってしまった。しかもそれに気が付いたのは万事うまく行ったあとだというのだから、皮肉なものだ。

そう、その気持ちに気が付かないこともある。
 
気が付きたくないがために、誤魔化したり、隠したりしていることもある。
それはわかる。例えば友達の彼女だったり、手の届かない人物だったり。
しかしそれが正しいのだろうか。手遅れになる……それで構わないのだろうか。
 

「ロックウェルさん……」

「ん?何」

 
ぐるぐると思案していた頭を現実に引き戻し、聞き耳の方を見れば、彼は犬のように瞳をうるうるさせていた。
ロックウェルがギョッとして冷や汗垂らしたのも束の間、突然聞き耳が飛び付いてきた。
 

「うわぁぁああッ(汗)」

「ロックウェルさぁん!!かわいそうな俺を慰めて!!」

「無理!(滝汗&殴)」

「いってぇッ(泣)ロックウェルさんの薄情者!!」

「黙れ変態!!(汗)」







…………。


「やべぇ!!そろそろ離陸だ!!揺れるぞ!!」

「……?」


ロックウェルはぼんやりと目を開けた。座ったまま俯いて寝てしまっていたらしく、首が痛い。視線を上げれば『シートベルト着用』のサインが光っている。

六月も後半、ハプスブルク高校の2年生は今日から修学旅行であった。飛行機を使うとは言っても国内なのでたいした距離ではない(ちなみに宣言通り行き先は北○道である/爆)。そんな短時間の間に、まして行きの便で寝てしまったのは結局一晩中聞き耳の話に付き合ってしまった所為だろう。ゆるく首を回して、となりを見ればなにやらロベルトが焦っている。


「ほら、次!フレデリックの番!早く早く!」

「えーこれは厳しい……。待って、待って、これかな……いや、こっち!……あぁっ!!」


フレデリックの小さな悲鳴とともに何かがバラバラと崩れる音がした。


「っしゃぁ!フレデリックの負けー♪」

「あーあ。仕方ない。はい、プレッチェル」


(こいつら……機内でジェンガやってやがる……/汗)


「あ、ロックウェル。やっと起きたな。もう着くぜー」


フレデリックから勝ち取ったプレッチェルを食べながらロベルトが言った。奥に座っていた誰かが足元に散乱したジェンガの木片に対して文句を言うのが聞こえて、ロックウェルはこんなはた迷惑な友達を持った自分が少し情けなくなった。


「あーだりぃ……。まだ初日かよ……」

「やる気ねぇなぁー。エミリオを見ろよ!」


ロベルトの示すほうを見ると、なぜか巨大な浮き輪とシュノーケルを抱えた海パン一丁のエミリオがわさわさと動き回っていた……。話を聞けばどうやら彼は行き先が沖縄だと思っているらしい。初めて乗る飛行機に興奮し、朝っぱらからハイテンションで「絶対いるかと友達になるんだ!」などと目を輝かせて意気込む彼に誰も真実を伝えることができなかったようだ。

窓際に座る女子が何やら楽しそうに声をあげた。ロックウェルもそばの窓を覗き込むと、そこにはのんびりとした家々と緑が広がっており、飛行機の揺れは段々と大きくなった。そろそろ着くのだろう。


「皆の者……。着陸だ。近くにあるものにしっかり掴まっておけ!!」


一番前に座っていたトート先生はそう叫ぶなりガシッと椅子の背もたれに掴まった。今更飛行機が落ちるとでも思っているのだろうか。







空港に到着後、荷物をバスに乗せ一向は早速目的地に向かうこととなった。乳製品で有名な北○道とあって、チーズを自分達で作れるという工房に行くらしい。バスの後方ではエミリオは一人だけジャージ姿で浮き輪を抱えたまま放心していた。ちなみに彼の抱える浮き輪は狭い車内ではかなりのスペースをとっており、大いに煙たがられていた。


「ねぇ、見てみて、牛がいるわ!」


目的地に近づき、牧場が見えてくるとパトリシアの弾んだ声が聞こえた。
その工房は森の中に位置しており、その工房の周りだけ開けた空間となっていた。トート先生は生徒達をバスから下ろすと、夕刻まで自由行動、などとのたまってどこぞに消えた。


「あの担任はまた……(汗)」

「どーせこの匂いに耐えられないとかだろ。なぁなぁ、それよりさ……」


ロベルトがロックウェルに耳打ちした。


「えー……なんでだよ……」

「いいじゃんか!手作りチーズなんて絶対まずいよ!くさいしまずいし最悪だよ!」

「そこまで言ったら工房の人に失礼だろ!(←律儀)……俺は、やだよ」

「……あっそ。じゃぁいいよー。ちなみにフレデリックは行くって言ってたけどな」

「…………」

「ロックウェルはチーズ食ってるほうがいいんだもんなー。じゃぁ俺フレデリックと二人っきりで行くから、また後でな♪」

「……あー!わかったよ、行くよ!(汗)」

(……なんかうざい……/怒)


自分から言い出したものの、フレデリックの名を出した途端あまりにあっさりと了承されてロベルトは不満げだった。


彼らの行き先は、森だ。というのも、ロベルトがある立て札を発見したためである。その立て札にはこう書いてあった。


『熊に注意!捕獲したものに謝礼金あり』


……まさか捕獲できるわけもないと思いつつ、ロベルトもフレデリックもいない中でチーズ作りなど確かにむなしい。そう考えて自分を納得させると、後ろではロベルトが必死でフレデリックに付いてこいと頼み込んでいるところだった。


「おい!!(怒)」

「いや、フレデリックも行くって!ほら、行くよな!?な!?(脅)」

「え……あ、はい……(汗)」


熊が出るなんてそんな物騒なところ是が非でも行きたくなかったフレデリックだったが、ロベルトの気迫に押されてつい行くなどと言ってしまうのであった……。


「ロベルト……お前言い出したからには絶っ対捕まえろよな」

「おうよ!俺のジプシー流アカデミック超宇宙式太極拳で八つ裂きにしてやる!!」

「…………(汗汗汗)」


かくして三人は深い森へと消えていったのであった……。







「ねぇ兄貴。俺こんな広い牧場はじめてだよ。見て、こいつ草食べてる。かわいいなぁ」

 
草をついばむ牛の頭をいとおしげになでるジョルジュの横には、そんな彼を満足気にみつめるアルマンドの姿があった。一見、小鳥のさえずりが聞こえてきそうなほど和やかな時を過ごしている彼らだが、彼らは彼らでまた本来のチーズ作りとは外れた行動をとっていた。ふと、アルマンドが考え込むように顎に手をあてた。
 

「ふむ……牛か。様々な乳製品はもちろん、極上の霜降りサーロイン……」

「あ……兄貴?(汗)」

「ジョルジュ、思い付いたぜ!!こっちだ、こい!」

「え?う、うん!!」

 
1組の問題児二人組は工房の裏手の小屋へと姿を消した。